<質問>
複素平面の発想は,32ページの文章からは, カスパー・ヴェッセルが一番先に思いついたかのように思えるのですが,アルガンやガウスのように名前を冠してもらえなかったのはなぜですか。

兵庫県姫路市,J.M.さん
11月10日質問受付
<回答>
歴史上,複素平面のアイデアをはじめて発表したのは,当時デンマークの支配下にあったノルウェー生まれの測量技師,カスパー・ヴェッセル(1745〜1818)だといわれています。ヴェッセルは,虚数および複素数を測量技師の仕事に役立てるための研究を独自に行いました。
 その結果,虚数を目に見える図にあらわす方法として,今でいう複素平面のアイデアにたどり着きました。ヴェッセルはこのアイデアを『方程式の解析的表現について』と題する論文にまとめ,1799年に発表しました。またその2年前の1797年には,同じ内容をデンマーク科学アカデミーで発表しています。
 ところがこれらの発表は,デンマーク語で行われたものでした。当時のヨーロッパでは,デンマーク語で書かれた文献が国外で広く読まれることは多くありませんでした。そのため,せっかくヴェッセルが発表した複素平面のアイデアは広く知れわたることなく,100年もの間,歴史の闇に埋もれてしまいました。
 ふたたび日の目を見たのは,ヴェッセルが死んだはるか後の1899年に,その論文がフランス語に翻訳されたときのことです。このときにはすでに,複素平面は,フランスの数学者ジャン・ロバート・アルガン(1768〜1822)や,19世紀最高の数学者とも称されるドイツの数学者カール・フリードリヒ・ガウス(1777〜1855)の発見したアイデアとして広く知られるようになっていたというわけです。
 とくにガウスは,ヴェッセルよりも先に複素平面のアイデアに到達していた可能性が高いと見られています。ガウスは,ヴェッセルが複素平面のアイデアを記した論文を発表する前年である1796年に,ある重要な発見をしました。それは,「正17角形が定規とコンパスだけで作図できる」という発見です。
 正17角形を作図するためは,複素数や複素平面を駆使しなくてはなりません。この事実は,少なくとも1796年の時点で,ガウスが複素平面のアイデアに到達していたことを物語っているのです。このことを踏まえれば,複素平面が「ガウス平面」の名でよばれていることにも納得がいくのではないでしょうか。
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